2020年から職を探すため、大学教員公募に応募して来ました。そしてこの度、専任教員として採用してもらいました。これまでの教員公募の体験談をまとめたいと思います。
今回の公募で一番驚いたのは「申請書類を本気で頑張って準備すると、本当に面接に呼ばれて採用される」という当たり前の事実です。少なくとも、今回内定を頂いた大学の先生方とは一度もお会いした事はなく、「書類+面接 (2時間程度) 」だけで決定しました。教員公募ではある程度知り合いであったり、コネ的なものも重要なのではないかと思っていた時期もありましたが、全く関係ありませんでした。そして審査を通して、本当によく申請書類を読んで貰えたという実感があります。そのように考えると、審査の第一段階である書類の準備が本当に重要なんだと思いました。
私の専門分野は、X線を用いた宇宙観測とその観測機器開発で、天文学分野や物理実験の公募をメインで探していました。まず、どんな公募に出していたかを下のリストにまとめます。この3年間に13件に応募して、面接に呼ばれたのは4件 (面接経験したのは3件) になります。順調に見えるかもしれませんが、泣いたし、手にブツブツが出来たり、ハゲが出来たり、本当に大変でした。
関東国公立大 助教(任期5年, 再任可) 2020年, 書類落ち
関東私学 講師/准教授(任期3-5年) 2020年, 書類通過, 二次試験(書類)落ち
名古屋大学YLC助教 2020年, 書類落ち
東北大フロンティア助教 2020年, 書類落ち
関東私大 講師/准教授(任期なし) 2020年, 書類落ち
東海地方私大 准教授/講師(任期なし) 2020年, 書類落ち
関東私大 准教授/講師(任期なし) 2020年, 書類落ち
関東私大 助教(任期3年, 任期無しへの転向あり) 2020年, 書類通過, 面接辞退
関東私学 教授/准教授/講師(任期なし) 2021年, 書類落ち
関東大学校 助教(任期なし) 2021年, 書類落ち
関東私学 講師/准教授(任期なし) 2022年, 書類通過, 面接採用 (5. と同じ大学)
関東私学 助手(任期なし) 2022年, 書類通過, 面接後の結果待ち中に辞退
これらの応募を通して、申請書の書き方が大きく変わりました。そして、面接を通して意識したことや、審査の過程で大学について知らなかった事がたくさん出てきたので、思い出も含めてまとめたいと思います。少しでも参考になる事があると嬉しいです。
基本情報 (審査期間など)
公募を出し始めて知ったのですが、結果の報告などは、大学によってバラバラで、精神衛生上よくなかったです。特に、最初は不採用通知がとても遅いことを知らなかったので、どんなに頑張っても、応募したら忘れるのがベストだと思いました。下に示したものが、ざっくりとした採用スケジュールだと思います。
書類通過連絡: 書類締め切りから2週間から1ヶ月程度 (不採用通知は数ヶ月後)
面接日: 書類通過連絡から数週間から1ヶ月程度後
面接結果報告: 面接日から一週間程度 (大学によってはもっと遅い場合もある)
大学によって意思決定の仕方がかなり異なるようです。人事委員(数人)で決められるのか、教授会まで通さなければいけないのか、更に上の承認が必要なのか、などによって連絡時期はばらつくようです。通常、「二週間連絡が来なければ落ちたと思え」と言われていますが、感覚としては正しいように思います。今回の公募では1ヶ月過ぎた後に書類通過連絡が来たので、驚きました。
面接自体は、30分から1時間程度のプレゼンを準備するよう言われる事が多かったです。幸せなことに、私が受けた面接はどれも、応募者の良さを引き出してくれるような面接ばかりで、非常に楽しく話させて頂きました。プレゼンの途中で質問があるかもしれません、と言われても全く出ない場合もありますが、元気に楽しそうに話し切るよう心掛けました。
面接に呼ばれるとかなり採用が近いと言われるのもあり、結果が届くまで毎回気が気でなくなります。忘れろと言われても、難しいです。採用連絡は、メールや電話で来ました。この段階では、正式な採用通知ではありません。ですので、面接不採用の場合は、最終候補者の採用が正式に決まるまで連絡が来ないので、また何ヶ月単位で待つ可能性もあります。大学によっては、正式な採用が決まらない限り、採用連絡も出来ない所もあるかもしれません。
申請書関連
昔の申請書を読んでみると、一方的で相手側の立場に立って考えていない文章になってたなと思います。学振書類みたいに、自分がどれだけ凄いかを決められた順序で並べるのではなく、専門外の人にでも伝わる言葉で、相手が興味を持ってくれそうな内容を並べた書類を心掛けました。公募書類は大体 2000字か A4 2ページ程度で、そこまで詰め込められません。
心構えとして、「どうせ倍率高いし、宝くじ感覚で応募しよう」みたいな考えを一切しないようにしてから、任期無し公募でも面接に呼ばれる機会が多くなったと思います。最初は色々な申請書を使いまわしながら、公募書類としていたのですが、「もし、自分みたいな応募者がライバルの大部分であるなら、10倍ぐらい頑張れば差別化されるのでは?」とある日思い、書類を可能な限り練るようにしました。例えば、自分の専門で十分チャレンジできそうな公募は、年2-3個程度だったと思います。数十個も大量に準備せず、決め打ちでしっかり準備する分には捌ける量ですし、ある時からそうするようにシフトしました。書類の大部分を使い回すのは、むちゃくちゃ業績があって研究大学・機関を狙う場合は、可能性はあるのかもしれませんが、ほどんどは機能しないように思います。
また、大学の教育現場に携わるようになって、考え方が変わった事も大切な経験でした。もちろん大変な事は多々あるのですが、あらためて学部の物理の面白さであったり、面白いと思って授業に参加する学生と接したことによって、教育に対してポジティブな気持ちが生まれました。少なくとも大学教員を目指す場合、学生と共に仕事をすることが前提になります。任期付きであっても、まずは助教などの職につき、教育活動を通して自分が今後どのように研究業界へ貢献していきたいかを明確する、という過程は重要だと思いました。
以下では、書類を準備する段階で具体的に気をつけた事をまとめていきます。とは言え、ほとんどは一般論になってしまっています。もし、実際の申請書読んでみたい方がいれば連絡ください。
追記 (書類の一部公開): 公開後、多くの人に読んで頂いているようで、大変有り難く思っています。そして、多方面から公募書類を見せて欲しいとご連絡頂いており、中には「参考にして書類が通りました!」と報告してくれる人もいて、とても嬉しいです。一方で、連絡することに抵抗がある人もいると思いますので、書類の一部を ここ に公開 (無料) することにしました。「教育への抱負」の一番共通しそうな部分のみですが、不採用時の書類と採用時の書類を比較して、どのような改善をしたのかをまとめまています。また、書類全部みてみたいと言う人は toshiki (_at_) meiji.ac.jp にメールください。物理分野の私立大学の公募だと、参考になるところがあるかもしれません。書類や面接の相談にも乗ったりしていますので、お気軽にお問い合わせください。
【研究概要/研究計画】最終的に内定を頂いた公募は、"実験物理学" というとても幅広い分野へ向けたものでした。まず考えたのは「自分の分野(宇宙物理)が、どのような視点から学科へ貢献できるか」という点です。そして学科のHPを調べてみると、そもそも宇宙物理に関わる実験系の研究室はこれまでに無い事が分かりました。そこで、新たに宇宙物理の研究室を持つと大学側にどのような利益があるかを考え、申請書を準備し始めました。これらの内容は、主に「研究計画」と「教育の抱負」へ組み込みました。学科の教員のバランスを考えて、前向きに自分ならどんな事ができるかをどれだけうまく提案できるかが鍵だと思いました。
(分野がドンピシャの助教公募の場合は、研究活動以外にそこまで頑張れる事が無い気がするので、今回はあまり触れません)
まず、「これまでの研究概要」で意識したのは、「自分が何者であるか?」をちゃんと分かってもらえる書類です。当たり前に聞こえるかもしれませんが、研究の主軸が何で、どんな事を知りたいと考えているかを専門外の人に伝えるのは、なかなか難しいです。特に、研究室 PI を狙う公募の場合、申請書類を読む人は、ほぼ 100% 自分の分野とは違う人だと思った方が良いです。同じ学科内に専門が同じ研究室が複数ある場合は、ほとんど無いはずです。自分の分野が今どんな所へ向かっていて、これから先どんな面白い事が分かりそうなのか、そもそもどんな手法で研究を行なっているか、など学科全体で共通するような言葉を選んで書く事を意識しました。あと、絶対に制限文字数は超えない、文字を小さくしすぎない、なども意識しました。
例えば、昔の申請書を読み直していて、これまでの研究概要で「筆頭論文?本、競争的資金?円 …」みたいに業績数の要約を書き込んでいました。今思うと、そんな事は業績リストを見れば分かる話で、文字数の無駄です。それよりも、本質的な内容を書いた方が良いと思いました。また、科研費申請書類みたいな具体的すぎる研究の説明が以前は多かったです。いくつも具体的な研究成果を並べられても、読者は消化不良になってしまいます。ストーリーの大筋を作って、代表的な研究結果のみを例として分かりやすく書く、という事を心がけました。そして何よりも、そのストーリー自体が分かりやすい方が良いです。
「研究計画」では、他分野の人が聞いてもワクワクするような発展が待っている、という事を伝えられる努力をしました。少し今までの研究からは遠いテーマとも絡めながら、大きなストーリー作りを意識しました。そして、他の研究室の研究とのバランスや学科全体のビジョンを考えた時に、その研究がどのように学科にフィットするかを考え、ポンチ絵なども含めて書きました。これらのストーリー作りに、学科の HP をストーカーのように調べまくり、先生方の名前、研究テーマ、可能であれば最近の研究内容までも頭に入れるようにしました。この研究計画を書くまでの下地づくりが一番大変だったと思います。
【教育への抱負】教育への抱負は、大学によってはもちろん異なるとは思いますが、(私学の場合は)おそらく一番読まれ、差がつく書類だと思っています。そして、人事委員会の先生方が同じ視点で評価できる書類は、この書類だけだと思います。研究業績や研究内容は、分野が異なると評価軸が変わってきますが、教育に関しては共通する話題も多いので、審査員の先生方が一番読みやすい書類だと思います。例えば私学では、どうしても教員に対する学生の数が多いこともあり、教育から避けて仕事をするというのは不可能です。そのような状況に対して、これまで何を考えどのように対応してきたか、今後どのように対応していくかを具体的に書く必要があります。
抱負と言っても、理想的な事ばかり言っても現実味が出ず、みんな同じになってしまうらしいです。これまでやって来た事や自分の理想と相手側の教育の共通項を見つけて、経験を元に書く事を意識しました。絶対にどの大学も、「~に力を入れている」的なことを掲げているはずです。そして、それにまず共感できるかを考え、なぜ共感できるかを実体験から考察しました。そのまま「~という教育理念に共感しました」とか誰でも書けることは書かないようにしました。あと、自分の研究の話も巧く教育の話に絡められると良い気がします。
例えば、「研究で~をしてきた経験がある。その経験から??な教育ができる」みたいな書き方を以前はしていました。同様に、「国際研究を推進したい」とか「科学の魅力を伝えたい」などのような一方的な願望に聞こえる表現をよく使っていましたが、それらが学科の取り組みとしてどう取り込めるかをちゃんと考えていないと意味を成さないと思います。ちゃんと学科の教育方針を分析して、そこでどのように自分が貢献・発展できるかを書く必要があると思います。
加えて、なぜその大学じゃないといけないかを、ちゃんと調べて書いてあると、印象が全然違う気がしました。ほとんどの人はこれを書かない気がしますし、巧く書けると差別化になって効果的なのではないかと思っています。前向きに、自分ならそこでどんな教育ができるか?をどれだけ考えられたかで差がつくと思いました。自分の場合は、教育の抱負の書類に「志望理由」というセクションをあえて設けて、1/3 ぐらいの分量で書くようにしていました。
その他の申請書関連メモ
【研究計画】研究計画の規模は妥当か?: その大学の各研究室の実験や研究の規模を調べて、自分が研究室を持った時、どんな研究を展開出来るか、テーマや装置も含めて具体的にイメージするようにしました。
【研究業績に関して】研究業績は一つの指標に過ぎないが、無いと厳しい: 教員公募へ出し始める前までは、良い研究をして、論文をたくさん書けば職が得られると思っていました。嫌でも学振や基礎特などのふるいに掛けられてきたので仕方がないことですが、この事実とちゃんと向き合えてから、公募書類の書き方が変わってきた気がします。研究重視の国公立大学の場合は、飛び抜けた業績が武器になるとは思いますが、その他の多くの公募では、業績は足切り程度にしか使われていない気がします。あと、初めて知りましたが、大学によっては筆頭論文の本数が少ないと、そもそも修士や博士の学生の指導が出来なかったり、昇格できない場合があります。その場合、ちゃんとコンスタントに論文を書いてないと候補者に残るのが難しくなるので、やはりある程度の業績をコツコツ上げている事が重要だと思いました。
【その他①】分野ドンピシャの公募について: 分野がドンピシャで、問い合わせ先が知り合いだったら、迷わずメールして、オンラインでも対面でもいいので直接話すと良いと思います。例えば、僕の一つ目の私大助教公募の時は、問い合わせ先が完全に知り合いだったので、メールして zoom 相談してもらいました。助教の場合は、基本的には研究室 PI と一緒に研究することになるので、今の研究室の状況やどんな人が欲しいのかなど、色々直接聞けると申請書の方向性がだいぶ決めやすくなります。あと、単純に「出します」という意思表示にもなって、向こうも準備がしやすくなると思います。
【その他②】公募に関して難しい事があれば問い合わせてみる: 教員公募へ出し始めた頃はアメリカに住んでいました。海外に住んでいると、全ての書類を集めるのが難しい時があります。例えば、学位記のコピーを手に入れるのが困難 + 現地での面接が難しいなど問題があったのですが、とりあえず問い合わせ先にメールしてみた事があります。すると、書類審査の段階では、前者は学位を証明できる何かを提出 & 後者はオンライン面接も可能というように変更してくれました。もちろん、対応できない事もあると思いますが、基本的に人事では選択肢は増やしたいはずなので、最初から「こんな公募だせるわけない!」と開き直らず、問い合わせてみる事をお勧めします。ちなみに、その公募でも面接に呼んでもらいました。
面接関連
面接は正直なところ、何を対策すれば良いか、また何を目指せば良いか、最終的に分からないままでした。前提として審査員は、申請書類しか読んでいないはずなので、その書類に沿って、より具体的な内容に作り上げられると良いと思います。自分がどういう対策をしたか、どんな質問が来たかをまとめます。
いろんな人に聞いてもらう: 私の場合、立場の違う4-5人の人に面接練習をお願いしました。自分の研究を良く知る人、知らない人、国公立大(or 研究所)の人、私立大の人、など知り合いにお願いして、練習に付き合ってもらいました。面接当日、誰に評価されるかは分からないので、幅広い人に聞いてもらって、共通して言われる所はしっかり直しました。一方で、最終的には自分が楽しく話せるのが重要だと思うので、指摘されても直さない所も多々ありました。
自分の研究をちゃんと分かってもらう準備をする: 自分の研究分野とかけ離れた分野の人達を相手にする際、どの程度自分の研究を詳しく説明するかを迷うと思います。これまでの研究を全て理解してもらうのは、もちろん不可能なので、とにかくこの結果はちゃんと面白いと他分野の人にも思ってもらいたいという話を準備しました。その話に関しては、背景もしっかり説明して、論理の飛躍もないよう丁寧な説明を心がけました。結果として、面接官の人が、他分野だったのにも関わらず、資料としてその論文を(おそらく)よく読んでくれていた様で、しっかり議論することが出来ました。
長期のビジョンを示す: 最終的に内定をもらった所は、定年70歳だったので、30年以上勤務する事が分かっていました。自分が定年するまで、科学的にどんなイベントがあって、自分の分野をどのように成長させ、最終的にどんな形にしたいかをイメージして、その長期の計画も発表しました。
楽しんで話す: 緊張はするのは仕方ないですが、やっぱり研究が楽しい事が伝わると嬉しいです。分野の違う人も含めて、面白そうだな・楽しそうだなと思ってもらいたいですし、最後はこれだけを意識して面接に挑みました。
質問「学生は幅広いスペクトルを持っていますが、多様な学生をどう教育しますか?」: 私学の場合、ほぼ100%聞かれる質問だと思います(僕の場合は、これまでの全ての面接で問われました)。これに対して、ちゃんとした答え(出来れば実践してきた事)を具体的に示して、この人なら出来そうと思わせる必要があります。
質問「なぜ、その研究があなたに出来たのでしょうか?」: 特に大切な質問ということでは無いと思いますが、答えを持っておけると良いかもしれません。
質問「受け持って頂く授業(あらかじめ指定されていた)に関して、抱負を聞かせてください」: 大学のカリキュラムに目を通して、学科としてどんな所に力を入れているのかを理解しておくと良いです。
質問「出張実験などどれほどの頻度で行う予定ですか?」: 学務と研究の両立を見られている質問だと思います。他には「研究と教育は、それぞれどのような配分で行いますか?」のような質問と同様のもので、このような質問が来る場合、出来れば学内で多くの事を済ませられる研究の方が良いのかもしれません。
最後に: キャリアパスの悩みの記録
色々と悩んでいたことをまとめます。
家族のこと: 2018年に結婚し、妻は仕事を辞めて、2018年7月から2人で渡米しました。今思うと、妻のキャリアパスなどは何も考えていないままアメリカに連れて行って、本当によくなかったなと思っています。ただそんな中でも、妻はアメリカでも職を見つけ、日本に帰国の際も、自分よりも安定した職を見つけて来ました。そして帰国後に気づくと、妻のキャリア・自分のキャリア・育児の全てを考えると「任期が切れる間に何でも(アカデミア以外でも)いいから関東で職を得る」という状況になっていました。とにかく、任期がある間は、チャレンジし続けようと考えていましたが、関東圏で任期無し職を得るというのは、とてもハードルが高いと感じていました。そういうのもあり、人生をかけて公募に取り組むしかないと考え、書類との向き合い方が変わったと思います。
家族の事を考えると、研究職は本当に大変な事が多いです。この辺は悩まない人はいないと思いますし、明確な答えもないですが、そんな中で支えてくれた妻に、心から感謝します。
海外での研究生活: 2018年から渡米し、NASA/GSFC で約2年半研究を行って来ました。機器開発もできるし、超新星残骸の観測研究もできるし、とにかく毎日が楽しかったです。アメリカで世界的に研究をリードしたいと思って渡米したのですが、1年半から2年ぐらい経った時点で、アメリカでずっと研究を続けるのは自分には難しいと思いました。その理由をいくつか書きます。
① 世界は青天井だった: 自分が所属するX線天文分野というよりは、他の宇宙物理・天文の分野も含めて、宇宙科学の全分野で今後トップを走り続けられるか?という事を考えて、単純に難しいと思いました。そして、これが出来ないと現在のアメリカの大学や研究所でテニュアを取って幸せに暮らすのは難しいのではと考えていました。完全に挫折だったと思います。X線天文分野は、今後の成長にどうしても技術的発展が必要です。しかし、飛翔体観測が必要なのでどうしてもリスクが大きくなります。特に米国だと、グラントの継続的な取得は必須で、それに勝ち続けて、かつ、科学成果へコミットしなければいけない、というのがどうしても自分に合うと感じられませんでした。
② 小粒だけど良い研究がしたい: 大きい事を大きい予算でやるならアメリカは幸せだろうなと思いましたが、それは自分のこれまでの研究スタイルとは別方向だなと思いました。
③ アメリカでは分業が進んでいた: 日本のX線天文学では、装置開発と観測を両方やれる良さを感じていましたが、アメリカでは装置開発する人とサイエンスする人がある程度分離されている印象でした。そんな中で、サイエンスだけやるには業績や能力が弱く、装置開発だけやるには開発力がない自分の能力に生きにくさを感じました。
④ 日本の方が職が得やすい?: 単純に、世界から応募者が集まるアメリカの公募より、戦略をちゃんと練れば日本の公募の方が職を得やすいように思えました。もちろん ① にあるようなぶっちぎれる業績があれば別だったのかもしれません。
⑤ 家族の事を考えても日本がいい: 子供も産まれ、育児や祖父母の事を考えても、日本での生活が今は幸せです。
職がないと研究は続けられない: これもずっと悩んでいた事です。研究は楽しく重要ですが、それを続けられないと意味が無いです。安定した職を得られれば、10年でも20年でも研究が続けられます。その時期その時期で何に投資すべきか考えた時、今は絶対に職探しを最優先にすべきだというタイミングがありました。いろんな材料はあるのに、手を抜いていた事に気づきました。何としても職を得たかったです。
Comments